耳にタコができるほど聞いてきた情報かもしれませんが、建設業界における労働災害の死傷者数は、平成28年度の厚生労働省の発表によると、15,058人(全産業の12.8%)。死亡者数は、294人(全産業の31.7%)となっています。
ともに前年比からは減少しているものの、全産業の割合は依然として高く、さらなる改善が求められています。
現場での様々な取組や一人ひとりの安全意識の向上は必須ですが、厚生労働省と国交省、建設業労働災害防止協会などのデータから「安全衛生経費の確保」が不十分であるということがわかってきました。そんな状況下で、官民一体となった検討が進められ、このたび株式会社 建設産業振興センターが「安全衛生経費確保のためのガイドブック」を作成し、国土交通省は今年度実態調査を行います。
「安全衛生経費」とはなんなのか?一体、どのような問題があるのか?今回は「安全衛生経費」について解説します。
安全衛生経費とは?問題点とその背景
そもそも「安全衛生経費」とはどのようなものでしょうか?
「安全衛生経費」は、建設工事の労働災害防止対策や安全衛生確保のために捻出される費用のことです。労働安全衛生法では、“元請負人及び下請負人に労働災害防止対策”を義務付けており、それに必要とする経費は、元請負人の負担が義務付けられています。労働災害防止対策に要する経費は、「通常必要と認められる原価」に含まれるので、建設工事請負契約はこの経費を含めて締結しなくてはいけません。
つまり、本来は元請業者が、労働災害防止対策の経費は負担することになっているのですが、建設投資の減少傾向がつづいてきたことによって、建設工事価格も低下。
<国土交通省「平成29年度 建設投資見通し」よりグラフを作成。2015・16年度は見込み。2017年度は見通し>
公共工事では、「安全衛生経費」は単独での積算は行われておらず、「直接工事費」「共通仮設費」のなかに含まれているため、受注額の低下は「安全衛生経費」の低下に直結します。
また民間工事では、安全衛生経費の内容、計上方法(積み上げ、率計上など)が不明確で、元請け・下請け間の経費負担の解釈も定まっていない状態でした。予算の捻出が厳しくなっている状況下で、安全衛生経費の負担者が曖昧になっているという現実があります。
そんななか、以前より官民が一体となり、安全衛生経費は工事価格とは別枠で計上し、「安全衛生標準リスト」の必要性などが喫緊の課題とされ、「請負契約における労働災害防止対策の実施者及びその経費の負担者等の明確化等」を指導。さらに国土交通省は、「建設業法令遵守ガイドライン」を改訂して、労働災害防止対策の実施者と、経費の負担者の明確化の手順などを示しています。
さらに建設業労働災害防止協会の平成22年(2010年)の調査によると、「発注者から契約約款に労働災害防止に関する事項を明記されたことがある」の質問に対して、YESと答えたのは50%。その内訳として、もっとも高かったのは「労働災害防止の徹底」で69%です。
これは至極当然のことで、むしろ31%が契約約款に「労働災害防止の徹底」が明記されていないことが問題ではないでしょうか。また「安全衛生経費の積算」が明記されたのはわずかに8%だけでした。さらに「安全衛生経費について、仕様書、注文書等に具体的な項目、金額が明示されている」と答えたのは、14%。
つまり、先述の通り、負担者がうやむやな上に、下請企業などが請負代金の低さなどから、必要な安全衛生経費を確保できない状態がつづいているのです。
そのような流れを受け、建設工事の安全衛生経費の実態把握にとどまらず、適切かつ明確な積算を行ったうえで下請負人まで確実に支払われる検討が進められ、「建設工事従事者の安全及び健康の確保の推進に関する法律」が、2017年3月16日に施行されました。
契約時に安全経費を誰が払うのか?をしっかり決める
では、安全衛生経費の区分を明確化するためには、どのような手順を踏めばいいのでしょうか?
厚生労働省と国土交通省が示しているガイドラインをまとめると以下になります。
①元請負人による見積条件の提示
元請負人は、見積条件の提示の際、労働災害防止対策の実施者及びその経費の負担者の区分を明確化(※例示は後述)し、下請負人が自ら実施する労働災害防止対策を把握でき、かつ、その経費を適正に見積もることができるようにしなくてはいけません。
②下請負人による労働災害防止対策に要する経費の明示
下請負人は、元請負人から提示された見積条件をもとに、自らが負担することとなる労働災害防止対策に要する経費を適正に見積もった上、元請負人に提出する見積書に明示する必要があります。
③契約交渉
元請負人は、「労働災害防止対策」の重要性に関する意識を共有し、下請負人から提出された労働災 害防止対策に要する経費」が明示された見積書を尊重しつつ、建設業法第18条を踏まえ、対等な立場で契約交渉をしなければなりません。
④契約書面における明確化
元請負人と下請負人は、契約締結の書面化に際して、契約書面の施工条件等に、労働災害防止対策の実施者及びその経費の負担者の区分を明確化するとともに、下請負人が負担しなければならない労働災 害防止対策に要する経費は、施工上必要な経費と切り離し難いものを除き、契約書面の内訳書などに明示することが必要です。
【内訳書の例】このように負担者と実施者を明確化しましょう〜
先述の手順①と④にある区分の明確化はどのように行えばよいのでしょうか?建設業労働災害防止協会が平成25年3月に発表した『「建設工事における安全衛生経費の標準リスト及び積算明細票」の解説並びに作成要領 検討結果報告書』に詳しく記載がされておりますが、下記のように元請負人は、下請負人に見積段階で、下請負人に明示する必要があります。
実施者と経費の負担者の区分を明確化すべき労働災害防止対策(区分表)【例示】
実施者 | 経費負担者 | 実施者 | 経費負担者 | ||||||
元請 | 下請 | 元請 | 下請 | 元請 | 下請 | 元請 | 下請 | ||
1.直接工事費 | (2)昇降設備 | ||||||||
(1)移動式クレーン | ◯ | ◯ | ①階段 | ◯ | ◯ | ||||
(2)足場 | ◯ | ◯ | (3)その他 | ||||||
2.安全費 | ①敷鉄板 | ◯ | ◯ | ||||||
(1)監視連絡等に要する経費 | ②玉掛用具 | ◯ | ◯ | ||||||
①無線機(クレーンの合図) | ◯ | ◯ | 4.教育訓練費 | ||||||
(1)保護具類 | ①新規入場者教育の資料 | ◯ | ◯ | ||||||
①保護帽 | ◯ | ②新規入場者教育の実施 | ◯ | ◯ | |||||
②安全帯 | ◯ | ③新規入場者教育の受講 | ◯ | ◯ | |||||
③安全靴 | ◯ | ④移動式クレーン運転免許取得者の配置 | ◯ | ◯ | |||||
3.仮設費 | ⑤玉掛技能講習修了者の配置 | ◯ | ◯ | ||||||
(1)墜落・飛来落下防止措置 | ⑥安全衛生協議会への参加 | ◯ | ◯ | ||||||
①安全ネット | ◯ | ◯ | 5.上記以外の疾病・衛星対策 | ||||||
②手すり等(躯体の橋) | ◯ | ◯ | ①健康診断 | ◯ | ◯ | ||||
③立入禁止措置材 | ◯ | ◯ | ②熱中症対策(水筒等) | ◯ | ◯ | ||||
④立入禁止措置設置 | ◯ | 6.その他 |
<「安全衛生経費確保のためのガイドブック」より作成><※『「建設工事における安全衛生経費の標準リスト及び積算明細票」の解説並びに作成要領検討結果報告書』(平成25年3月建設業労働災害防止協会)を参考>
この提示を受ける下請負人は、安全衛生経費を明示する際は、可能な限り、その根拠を明確にして内訳書で明示することが重要です。下記がその例示になります。
実施者 | 経費負担者 | 経費負担者 | ||||||||
元請 | 下請 | 元請 | 下請 | 規格等 | 単位 | 単価 | 数量 | 金額 | 概要 | |
2.安全費 | ||||||||||
(2)保護具類 | ||||||||||
①保護帽 | ◯ | ◯ | ◯円/個 耐久年数◯年 |
人 | ◯円 | ◯ 延人数 |
◯円 | ○円/○日 (年間稼働日数×耐 久年数) |
||
②安全帯 | ◯ | ◯ | ◯円/個 耐久年数◯年 |
人 | ◯円 | ◯ 延人数 |
◯円 | ○円/○日 (年間稼働日数×耐 久年数) |
||
③安全靴 | ◯ | ◯ | ◯円/個 耐久年数◯年 |
人 | ◯円 | ◯ 延人数 |
◯円 | ○円/○日 (年間稼働日数×耐 久年数) |
||
3.仮設費 | ||||||||||
(1)墜落・飛来落下防止措置 | ||||||||||
④立入禁止措置設置 | ◯ | ◯ | 直接工事費で計上 | 作業員労務費に含む | ||||||
4.教育訓練費 | ||||||||||
③新規入場者教育の受講 | ◯ | ◯ | 平均日当◯円 | 人 | ◯円 | ◯人 | ◯円 | 平均日当◯円/8時間 (1時間教育) |
||
⑤玉掛技能講習修了者の配置 | ◯ | ◯ | 受講費 | 人 | ◯円 | ◯人 | ◯円 | |||
⑥安全衛生協議会への参加 | ◯ | ◯ | 日当◯円、◯回 | 回 | ◯円 | ◯回 | ◯円 | 日当◯円/8時間 (1回1時間) |
このような手順は、いわゆる一次下請だけではなく、二次下請の場合でも、元請負人は同様の対応をしなくてはいけません。
不適切な対応は、建設業法に違反!
先述の手順において、不適切な対応があった場合は、建設業法に違反するおそれがありますので、十分に細心の注意を払いましょう。よくありがちな例として、ガイドブックには、下記の3つが明記されています。
▶
建設業法第20条第3項に違反
▶
建設業法第19条第に違反
▶
当該元請下請間の取引依存度等によっては、建設業法第19条の3の不当に低い 請負代金の禁止に違反するおそれ
下請企業が、請負代金の低さが原因で十分な安全衛生経費が確保できないことで、労働災害が起こってしまうと現場に責任を求めても、不条理です。
企業間で納得のいく契約をすることは当たり前のことではありますが、建設業界の特異な重層構造により、このような問題の原因となっています。
結局、しわ寄せを受けているのが現場だと考えると、労働災害の問題の根の深さを感じます。
労働災害防止は業界全体で取り組む問題
これまでに「ケンセツプラス」でも、ヒューマンエラーやKY活動、リスクアセスメントなど安全対策に関する記事を紹介していきましたが、その多くが現場単位で取り組む問題でした。
今回取り上げた「安全衛生経費の確保」は、業界全体での改善・取組が必要な問題になります。国土交通省は、安全衛生経費の支払いの実態調査を2018年度に調査をする予定です。実態が把握した上で、どういう対策が行われるのか、注目していきたいと思います。
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